きみがそういうからすき
「君がそう言うから好き」の正体について考えたい。端的に言って愛情?妥協?
想いに繋がる気持ちの表れからなる好きってなんだろう。まず'そう言う'の"そう"ってなに?なんの指示語?ほんとの好き?
昔の恋人というのはすごく綺麗な言い方で、私は中学生のおままごとみたいな付き合いしかしたことないし、最終的に大嫌いになってしまった彼のことを元恋人なんて呼びたくない。100000000年前に知り合った人とかでいい。でもどうなっで彼がわたしが好きになった人であったことには変わりなく、付き合っていた事実は揺るがない。そんなわけでわたしは仕方なく"元恋人"もしくは"元カレ"なんてさもまだ好きな気持ちがあるような言い方で話を切り出そうとしている。すごく嫌。
わたしは彼のどうしようもならんほど学歴厨なところがきらいだった。自分の頭の良さを認めてほしくて私に好きだと言ったと今でも思っている。
だからわたしがあんな奴のこと好きになったことが許せない。不可解だ。あの時の私って本当にわたしだった?
とにかく体感5秒で嫌いになった。あいつが私に言った。「きみがそう言うから好き」
わたしは何を言ったのかな、あいつは何を好きだったのかな。どういう流れのなんの会話の一部かなんてもう覚えてない。あいつはわたしを君なんて呼ばない、たぶん普通に名前で呼んでた。きみというのは名前を呼ばれたことさえ今ではなんだか気持ち悪く感じるため、ふんわりした表現にわたしはすり替えて記憶している。
その頃のわたしは好きという言葉に敏感すぎた。
好きがわたしの承認欲求の最大ゲージだった。
これは今でもそうかもしれない。
好きと言われない自分に価値を見出せず、わたしのこと好き?と何度も聞いた覚えがある。
その頃から立派なメンヘラちゃんだった。だからその言葉もわたしはわたしの心を満たすため、「わたしのおかげで好きが生まれた」という認識で心に落とし込めた。その時その言葉については特に何も思わなかった。最近時々引っかかる。
意味は違えどわたしに相当している気がしてならない。
高校生の恋なんて全て勘違いの一部だ。少女マンガの主人公たちは自分が恋をすることになんの疑問も持たない。作者の意図により恋をして作者の意のまま物語は進む。テキトーな作者は10代の女の子をひとつ年上の黒髪イケメンに好きと言わせる。(これは例です)
「作者がそう言うから好き」
こんな曖昧な漫画を中学生の時山ほど読んだ。
ちょうど付き合っていた頃だった。フィクションだから主人公が一人歩きすることはない。
主人公が相手に惹かれる所に深い意味はない。
かっこよくて優しくてそれが全て。(あくまで例ですよ)
わたしは元彼との出会い、恋、好き、それらすべて勘違いだったと思う。人生の中の数ある勘違いのひとつ。安い、中身がないと笑ったテキトーな作者によるテキトーなマンガの主人公ちゃんとやっていることは変わらない。
わたしにも作者がいるのでは?
作者の意図により恋をして、作者の意のままわたしは進む。作者が促す勘違いの連鎖。
作者という第三者の介入は「あの時のわたしは本当にわたしだったのか」が否である証明になる。
では新たな問題。作者とは。
いやだれ〜〜〜〜誰があーしの人生いじってるわけ?は〜〜〜????
少し考えすぎたね。もうやめる。
あの頃の自分を憎むがあまりありもしないことを考えること、本当にやめたいのだけれど、やめられない自分に自分らしさを見出してしまい、もう戻れないね、おしまい。
だいたい好きに理由なんてないじゃん。好きは好き。きみが誰であれ、そこに何かの言葉による影響が加わったって好きに変わりはない。作者の言葉か自分の言葉とか関係なく、誰かを思うことに偽りを感じるならそれは「好き」ではない。
君がそう言うのならそうであってほしい、君が願ったものが現実になってほしい、あまり気にならなかったけどきみが言うから好きになった、それがラブじゃん。
- 君がそう言うから好き=僕の好きが君の影響を受けてるぐらい君が好き
- 君がそう言うから好き=別に対して好きじゃないけど説明もめんどくさいし、君が言うなら好きでいいよ
愛情も妥協もどっちにしたって大好きじゃん、イコール愛でQED.
もしわたしがまた「君がそう言うから好き」を使うなら、こんな気持ちになったのはどっかからの操りだ!と言い訳に使うのではなく、純粋に人を愛す時であってほしい。
いつまでも好きに誠実でいたいと思うよ。
だからさ、未来のわたしへ、きみがそういうからすき。